就職活動(つづき)

昔のブログからの引用です。パートII。いろんなことがあったんですね、、忘れてました。

会社勤めと子どもの留守番の話

採用が決まったのは、某メーカーだ。

時給は印刷会社(パートだった)のときの倍以上、そのためプレッシャーも非常に大きく、半年ほどは派遣社員の勝手なイメージ( = 使えなければクビ)が頭にこびりついて離れなかった。肩にすごく力が入っていた。

初日はかなり緊張したが、幸いここでも、配属になった部署の上司や社員の皆さんがとても良い方たちだった。若い方が多く、女性陣の中では私が最年長だったと思う。しかし当然ながら一番下っ端なのも私だ。

ここではフルタイムだったので本当に「会社員気分」を味わえた。お昼には皆で社食に行ってワイワイと食べ、休憩時間には社内にある売店でお菓子を買って、仕事をしながらつまんだり。朝と3時には好きなマイ・カップでコーヒーを飲んだり。

そういう些細なことが、働いてる!会社に来てる!という事実を実感させてくれた。しかも、月給がしっかりと入ってくる。

最初の給料日には、感動のあまり給与明細を長い間見つめてしまった。

これで、子どもたちが音楽を辞めないですむ。安堵で、クラクラするようだった。

けれど、、

フルタイムになったせいで辛いこともあった。

子どもたちが学校から帰っても、お帰りと言ってあげられない。特に下の子はまだ小学校に上がって間もなく、側に居られないのが私の方が辛かった。

しかし、そこが二人きょうだいの強さだろう。あまり寂しがる様子も見せず、仲良く留守番をしてくれていた。

上の子は少しずつ家事を手伝ってくれるようになっており、とても助かった。

一度、今となっては笑い話のような失敗があった。

それまで私はお米を圧力鍋で炊いていた。お米を研いだあとは水と米をそのまま鍋に入れる、という作業を見て育った上の子は、炊飯器の蓋を開けると、 中に鍋が入っていない状態で米と水だけをじかにザーっと流し込んでしまったのだ。

すぐに炊飯器の底から水がザバザバと漏れ出し、上の子は泣きながら私に電話を掛けてきた。私も、最初は子どもの言っている意味がわからず慌てた。

結局炊飯器は故障してしまった。買ったばかりのものだったので夫にバレるとまた面倒なことになると思い、その日のうちにこっそりと電器店に行って同じものを買って帰った。
いまだに夫は知らない話だ。

目指すは正社員

音楽の話を書きたいと思うのだが、何かエピソードを思い出そうとするとつい仕事、お金、稼ぐ、という話ばかり頭に浮かんでしまう。

音大、と思ってから10数年間、常に、あといくら足りない、目標額まであとどれだけ、今月これだけかかった、と計算していた。スケジュール帳の余白にもメモし、会社でもエクセルで収入予測と月謝等の支出、貯金見込み額などを表にして、時にはグラフにしてしょっちゅうにらめっこしていた。

上の子が小学校高学年のときに転職し、念願の正社員の職につくことができた。

派遣社員も収入は悪くなかったのだが、それでもまだまだ足りなかったのだ。毎月のレッスン代は払えても、どうやっても思うように貯金にまで回せない。

何度も何度もシミュレーションした結果、大学入学までに、一人分の卒業までの学費分をせめて貯めておく必要があった。ボーナスがあれば、、と思った。そうなると、正社員を目指すしかない。派遣社員を2年勤めた頃、転職を決心した。

ボーナスがあることと、通勤手当てが出ること、そして昇給昇格があること。これらが、派遣社員とは大きく違う。

正社員の職を得て、音大に二人の子どもを入れることが現実的にどうやら可能だ、と初めて思えた。

人生で何度目かの就職活動だった。(おそらくもうこれで最後のはず。)今も勤めているこの会社の採用試験に向けて履歴書をポストに投函したときのことを覚えている。投函しかけて途中で止めて、通りますように、、と願ってから指を放した。

書類選考、筆記試験、面接試験と進んだが、面接後の合否の連絡が遅く、もうこれは落ちたな、、と諦めかかっていた頃、内定ですとの連絡を受けた。嬉しくて飛び上がり、子どもたちと手を取り合って喜んだのを覚えている。

母の留守中(小学生時代編)

小学生のころの話をひとつ。

二人とも小学生だったと思う。
仕事の帰り、家に向かう曲がり角を曲がると、うちの車庫の前にランドセルが落ちていた。うちの子のものだ。

置いている、というのではなく放り出してある。わたしはぎょっとして拾い上げ、家の階段を駆けのぼった。

ドアに貼り紙がしてある。

「お子さんがたは、お預かりしています。電話xxx-xxxx。」

ええっ。

一瞬、おそろしい想像が頭をよぎった。

しかし、よく見ると最後にちいさく、お向かいの家の方のお名前が書いてある。

もしや。。

電話すると、

あー、今遊んでますよー、ちよっとまって、連れていきます。

とのこと。

鍵をなくしてしまい家に入れなかった、という。二人で玄関でガチャガチャとしているときに向かいのおうちの方が声をかけてくださり、それならお母さんが帰るまでうちで待ってたら、と気づかってくださったというわけだった。

子どもたちが鍵をなくすことが、その前にも後にも何度かあった。けっきょくはジャンパーのポケットやらランドセルから見つかるのだが。

一度は、高い塀をよじ登り、フェンスの細い隙間から下の子が庭に入り込み、窓から部屋の中にはいったという。

忍者!?

と思った。いったいどうやったら数メートルありそうな塀をよじ登り、さらにフェンスのわずかな隙間に体を通すことができるのか。人間の頭が入ることすら驚きだ。

子どもは、簡単に入れたよ、という。

ならば、泥棒にとっても簡単だろう。

このことがあって、わたしはトゲが非常に鋭いつるバラを、フェンスに這わせて植えたのだった。

母の留守中(中学生時代編)

・・・(中略)

スマホは必ず手元に置いておきたい。いつ緊急の連絡が入るかわからないし。

子どもが小さく、携帯を肌身はなさず持っていたころよりは心配は減ったけれど。子どもたちが小学校のころは、仕事中も、学校からいつ電話があるかと気が気ではなかった。

二人とも寝坊して学校に遅刻してしまうのだ。

朝、私や夫の方が家を出るのが早いため、早朝にいちどは目を覚ますものの時間が余りすぎて二度寝をしてしまうらしかった。

じっさい何度か、学校から電話がかかってきた。

小学校のころは、すみません!すぐ行かせます、と答えて家に電話をかけ続けて起こし、二人で登校させた。この頃は、まだ笑い話で済んだ。

問題は、中学生になってからだ。

いちばんのピンチは上の子の中2の後期期末試験の日だった。

その日の朝、会社についてから私は何となく不安だった。いつもなら子供から、家を出る前に「行ってきます」とメールが来るのに、来ない。

時計を見ると9時過ぎ。
まさかね・・。

しかし。

直後に電話が鳴った。
中学校からだ。ひゃー!

「◯◯さんがいらしてませんが、今日は欠席で宜しいでしょうか?」

と言われた。まさか、まさか!大事な期末試験を欠席、って。

心臓がドキドキ動く。

咄嗟に何と答えるべきか言葉につまったが、覚悟を決めて喋ることにした。

「じつは少し前に連絡があり、具合が悪くて辛いと言っていました。。でも家は出たようですので、おそらく登校中かと。すみませんがテストは少し遅れて参加となっても大丈夫でしょうか?」

と、我ながらよくもまあ言えるわ、と思う言葉が口から出てきた。学校までは、歩いて40分かかる。遠いのだ。

電話を切って、今度はすかさず子どもに電話。しかし、なかなか出ない。まだ寝ている!

この。こいつ・・どうしてくれようか?

とめったにないほどメラメラとした思いでいると、しばらくして子どもの方からかけてきた。
私は、

「今タクシー呼ぶから。今すぐ着替えてお金持って外に出て。先生には連絡したから、テストの途中でも教室に入りなさいね。」

と低~い声音でしかし厳しく、一気に言った。
子どもは、

「はい。」

とだけ答える。
うろたえているのが分かる声だ。
タクシー会社に電話して自宅に配車し、あとはどうなろうが知るもんかい!と思って仕事に戻った。

帰宅後に聞くと、テストの途中で教室に入ったが顔色が真っ青だ、と先生に言われて保健室に連れていかれ、結局その科目は受けられなかったという。

しかし、、

日頃の態度が真面目だったこともあり、前期の試験の点数を参考に、小テストなどの点を加味してくださり成績は前期と同じ点をキープできたのだった。

まったく。

しかも、これは後の三者面談で初めて聞いたのだが、この日、制服のワイシャツではなく私服で行ってしまったらしい。

飛び起きてすぐに近くにあったシャツをつかみ、着てしまったという。あれ、今日私服じゃーんとちょいヤンキー気味の友人に言われるまで本人も気づいていなかったらしい。

それだけ気が動転していたのだろう。

もう、あんなにぎょっとする思いは私も勘弁してもらいたい。。

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